オピニオン  
 
情熱の結末――うすら寒い現実
 
   東日本大震災および東京電力福島第一原発の事故から4カ月が経つ。報道や自治体の発表する放射線量の数値に一喜一憂する日々が続いている。書店には、震災や原発関連の書籍が並ぶが、その中でノンフィクション作家・佐野眞一の「津波と原発」を読んだ。そこには、震災に対する佐野の怒りがあふれ、「原発のうすら寒い風景の向こうには、私たちの恐るべき知的怠慢が広がっている」との重い指摘がある。
 原発の導入には、資源のない日本がエネルギー源の石油依存度を下げ、また敗戦から立ち直り、経済成長を遂げるために必要なものとの判断があった。核燃料も、輸入に頼っている点では石油と変わりないが、高速増殖炉になると、発電しながら消費した以上の原子燃料を生成することができる。しかし、高速増殖炉「もんじゅ」は、つい最近まで燃料交換装置の一部である中継装置が原子炉内に落下し、引き抜けない状態が10カ月も続いていた。福島の状況と併せて安全への不安が募る。「我々にコントロールできるのか」と。
 原発は、国の将来を考え情熱をもって導入されたのだろうが、時を経て、官僚や政治家が補助金で地方を支配するツールとなってしまったか?危険なものという意識が日常の中で薄れていったか?脱原発の議論もあるが、その場合でも放射性廃棄物の最終処分地をどうするかという問題は解決しなければならない。導入した者たちは、最終処理問題解決を未来に期待し(先送り)、見切り発車で原発事業を続けてきたが、最終処分地の候補地も決まっていないという、うすら寒い現実がある。

(2011年7月15日掲載)
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(2011年7月22日掲載)
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(2011年7月15日掲載)
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(2011年7月8日掲載)