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職業に貴賤はないけれども、医師はその仕事の性格上一般国民のお手本的存在。病気を治し苦痛から解放する崇高な立場にある。 こうして、模範的国民として社会的制約が求められるが、いつでもどこでも100%聖人君子でいるというのも至難のわざ。時にはハメをはずし、人間臭さを発揮することがあっても少々のことなら大目に見て欲しいだろう。 昔、私が若輩の頃交流をもった医師は、そのほとんどがどこにそんな元気の源が潜んでいるのだろうか、とあきれるぐらい実にエネルギッシュな方ばかりだった。 仕事は仕事でキチンとこなしたあとの余暇の過し方は半端じゃなかった。タバコぷかぷか酒グイグイと、健康的な生活とはまるで縁の薄い先生が多勢いた。「医者の不養生」とはこういうことかと思ったりもした。 そんな自らは模範的とはいえない生活をしておきながら、患者には「タバコは辞めた方が」とか「お酒は控えた方が」とか平然と言う。仕事となれば、あくまでも“治療に専念”しようとする医師気質がはっきりみてとれた。 生業として基本的使命は十分果していたし、表向きは立派に健康人を演出できていた。 一方、今日では当たり前となっている「インフォームド・コンセント」に昔の医師は大変消極的であった。とはいえ医師としての深謀遠慮があってのことである。 つまり、医療内容をこまごま説明することが弁解がましく聞こえはしないか、そのようなエネルギーは最善の治療行為に費やせばよい、とそれなりに前向きに考えたのである。 しかしながら、時代が変わり医療経済が逼迫してくると、医師の気質は自ずと大転換せざるを得なくなってきた。なにしろ新世紀の医療法には「適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得る」ことと明言されている。 そんな新世紀制度下の医師を対象に実施されたある月刊誌のアンケートでは、ほとんどの医師が「タバコは吸うべきではない」と明言し、実際、9割方禁煙の状況となった。 更に、医師自身の定期健診の受診率も72%と、8年前より10%も向上、健康生活の実践ぶりについては隔世の感がある。 まさに、健康管理に関しては、陰日向なく一般市民の模範たり得ようとする新生医師の気構えが伺えるのである。こうなると「医者の不養生」はいずれ死語化することになるであろう。
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