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WHOなどが健康指標として採用、一般に定着した観のあったBMI(身長2乗体重比)が、最近になって急に肩身の狭い状態に陥っている。健康上、体脂肪率が重要視されるに及んで、その肝心の体脂肪量と筋肉量を区別できないBMIは、単に外見上の肥満指数でしかあり得なくなったのである。 要は、肥満の内面的・本質的な問題・内臓脂肪量を反映するウエストヒップ比の方が、死亡リスクを回避する指標としては優れているということである。特に高齢者に対しての成績で、ロンドン大学の学者らは、BMIは死亡率との関連が見られず、健康指標として全く不適切と実に手厳しい。そして、齢をとるほどに、ウエスト増、つまり腹部脂肪過多症には注意すべきであると警告する。 時を同じくして、アメリカの研究者もBMIを叫弾している。25万人対象というお得意の大規模解析をもとに、総死亡リスク、特に心臓血管死亡リスクとの関連性において、BMIの存在価値のなさを指摘、超有名誌ランセットに論文を載せている。 むしろ、総死亡リスクが最も高かったグループとして低体重群が浮上、逆に死亡リスクの低かったのがやや肥満者群、ということで、それまでのBMIの存在が、いったいどんな意義があったのか、狐につままれたような感じである。 こうして、内臓脂肪反映のウエストが俄然注目を浴びることとなり、いま話題のメタボリックシンドロームの指標として、堂々と光り輝くようになったのは言うまでもない。 平安時代、最高最大の栄華を誇った藤原一族は、まさにメタボリックシンドロームの先駆けであった。まず、摂政・伊尹(これまさ)は豪奢な暮らしに明けくれ、美食に耽って、現代の糖尿病に相当する飲水病となり、49才で亡くなる。 その後、関白・道隆(みちたか)も全く同様、連日水をがぶ飲みしつつ43才で没。伊周(これちか)も然り、同症状で37才で没。 「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることのなしとおもえば」 娘3人を太皇大后、皇大后、中宮として宮中に送り込むといった離れ業を演じ、一族の中でも格段の権勢を鼓舞した道長(みちなが)にしても、贅沢三昧のグルメぶりを発揮、典型的な糖尿病随伴症状で苦しみ抜き、62才で太く短い生涯を終えた。 絵巻の道長はでっぷりと肥え、腹囲は優に1m超。メタボの指標は男性では腹囲85cm。藤原一族が、もしこの健康指標のことを理解し、忠実にその警告に従っていたのなら、まだまだ平安の栄華は続いたであろうに……。 道長は、国際糖尿病学会で典型的な糖尿病患者として認定され、その肥満体が記念切手として現代に生き返っている。
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