メディカル・エッセイスト 岸本由次郎  
 
医言放大
 
パラダイムシフト-非常識化による進化-
 
   鎖国が解かれた、江戸から明治への脱皮は見るもの聞くもの全てがサプライズ。専門家といえども、全く目新しい技術に驚きつつ、それを上手に取り入れ発展につなげた。
 医学の世界でも然り、明治から平成への時代の変還と共に、今までの常識がまるで覆ってしまう出来事が次々と発生、医師は、特に年輩の医師は目を白黒させるばかりである。
 その一つに、創傷に対する処置の大きな変化がある。今60代のベテラン外科医が述懐する。自分たちが新入りの医局員だった頃は、専ら怪我の処置ばかりで消毒をし包交(ガーゼ交換)等に毎日明け暮れていた。その後、開業してサンザ同じ行為を続けてきたが、今では外科の第一線ではそれを全くやらない。傷の状態がよく見えるように、ガーゼではなく透明のフィルムが傷口に貼られるようになった。
 毎日行っていた包交がなくなって、外科病棟における回診時間は以前よりはるかに短縮化された。昔、普通に行われていた抜糸も、今では埋没縫合することが多くなっている。或いは、ホッチキスで止め、透明フィルムでカバーする方法がとられたりしている。
 褥瘡処置も大きく変わった。昔は専らガーゼで傷を覆い乾燥させていたが、今では逆に湿潤状態が保てるように被覆材が用いられる。実際、この方が治りが早く、これまでの乾燥は非常識化した。
 世はまさに今“ドライ”化傾向が問題となっている。目や口、そしてワギナまでも穴という穴が砂漠化しているが、人間本来の姿は“ウエツト”を切望している。
 傷の消毒という分野だけみれば、治りのもとである組織細胞を傷害する消毒剤は、もはや毒を消す薬どころか毒薬になり下がってしまった。パラダイムシフト(基本認識の変更)とはこういうことを言うのであろう。
 こうした進化は次々と発生し、医療現場を困乱させる――変化発展のプロセスではやむを得ないことだけれども。
 例えば、自らの体にしょっちゅう注射を打たなければならない糖尿病患者に、痛くない針は大変な福音である。だが、これが思わぬトラブルを生む。
 「注射針らしくない」「針が見えにくい」などの理由で、清掃担当者の間で針指し事故が続発したのだ。
 蚊の吸血針並みの極細針の登場が廃棄物現場に困乱を巻き起こしたが、あくまでも開発の意図としては“痛みからの解放”と大儀があり、蚊に刺される程度という、もはや痛みを完全に超越した技術の勝利は、大いに賞賛されなくてはならないはず。
 注射針らしくない極細針の登場等々、パラダイムシフトは、大なり小なり今度共次々と発生する。

(2006年12月4日掲載)
前後の医言放大
鉄枯渇にあえぐ女性
(2006年12月18日掲載)
◆パラダイムシフト-非常識化による進化-
(2006年12月4日掲載)
“運動器”という用語認識
(2006年11月17日掲載)