メディカル・エッセイスト 岸本由次郎  
 
医言放大
 
痴呆と虐待の密なる関係
 
   「ゴツン!」
 患者の頭が何かで突然殴られた。訪問看護師の目の前でいきなり起きたことである。場所は脳梗塞で寝たきりの85歳の女性の自宅。
 何に怒ったのか、そこの婿養子が食器でポカリと養母を殴りつけた。看護師は泣いて止めに入り、しばらくは仕事にならなかった。よく見ると、患者の顔といわず手足といわず体じゅうがあざと内出血だらけだった。目に深い悲しみをたたえた老婆は、身体をピクピクとふるわせ、怯えきっていた。  虐待は弱者に向けられる。女、子ども、老人そして知的障害者に対して、どれほど卑劣な行為が毎日繰り返されていることか。2000年には「児童虐待防止法」が、2001年には「配偶者からの暴力の防止および被害者の保護に関する法律」が制定され、女、子どもにはなんとか法整備がされたものの、高齢者や知的障害者に対しては法的には格別手が打たれていない。
 それでも遅ればせながら、高齢者虐待を現場でよく目にする医師仲間から問題意識が芽ばえ、2003年に「日本高齢者虐待防止学会」が立ち上がり、具体的、積極的防止活動が開始された。
 ついに、厚労省も動きだし、2004年には、「家庭内における高齢者虐待に関する調査」を実施、虐待の実態と介護の深刻さが明らかにされた。こうして、ようやく「高齢者虐待防止法」制定の機運が高まっている。
 そんな中、重要性を強く認識した全国の行政都市の中には、一早く防止条例を制定し、本格的取組みを始めたところがいくつもでてきている。
 厚労省の調査では、虐待の背景には8割も痴呆(認知症)のからみのあることが明らかにされている。痴呆症状をきたすと、偏った性格や人格がストレートに虐待にからむ。認知症となれば、当然「言動の混乱」は起こるし、身体機能上の問題として「自立度の低さ」や「排泄介助の困難さ」なども発生する。
 虐待の種類をアメリカと比較してみると、その性格の対称的な違いに大変興味を引かれる。アメリカでは“金銭的、物質的搾取”が約半数を占めるのに対し、我が国では“情緒的、心理的暴力”が約6割、“身体的暴力や介護拒否、放任”がこれに続いて多い。
 つまり、家族が介護に当たることの多い日本の特徴が、そうでないアメリカとはっきりとした対比となっている。そんな日本も最近は経済的トラブルがかなり増加してきているそうである。
 介護のからんだ殺人事件が、最近の5年間で82件発生との報告がある。本来敬まわれなければならない高齢者が、少しでも陰惨な虐待から解放されるよう、少なくとも法整備が円滑に進むことを心から切望する。

(2006年4月28日掲載)
前後の医言放大
安静が最善ではない
(2006年5月12日掲載)
◆痴呆と虐待の密なる関係
(2006年4月28日掲載)
宇宙飛行士はからだボロボロ
(2006年4月14日掲載)