オピニオン

牧歌的すぎる風景

 節電ダイヤの実施で、通勤に利用している某線が混むことが多く、辟易している。元から混んでいる線を利用している方には怒られそうだが、わが線は自分の乗車区間に限れば、ピーク時ですら他人にはほとんどぶつかることなく通勤できる牧歌的な線だったので、この変化は少々キツい。今日も車両のドアが開くと、中は乗客で一杯…。とはいえ、これは流石に仕方がないことだろう。
 辟易するのは単に混むようになったからではなく、以前は気にならなかった車内の“牧歌的すぎる”風景が、徐々に目立ち始めたからかもしれない。言い換えるなら、人口密度の高い土地に暮らすためのルールが機能していないように見えるのだ。
 混んでいるとはいっても、社内中央に目を向ければ、大抵の場合は結構な空間が空いている。故に各自が1つ中寄りの吊革に掴まるだけで、入口付近の混雑は解消されるし、乗降に要する時間も短縮される。しかしもう片方の手でスマートフォンをいじっている人は、ツイッターに熱中していてその状況に気付かず、呑気に「混んでるなう」などと呟いていたりするから笑えない。その他にも、ニンテンドーDSに夢中で吊革の存在を忘れ、しかし転ぶわけにもいかないので、大股開きで揺れに抗っている人。これだけ放射能を恐れている人が多いご時世にも関わらず、濡れた傘を束ねることすらしない人。気にしだしたらキリがない。
 自分も君子には程遠い人間なので、他人のことを言えた筋合いではない。しかし不可解なのは、これらの人々は邪悪どころか、むしろ大抵は今回の震災に胸を痛めた心優しい人々で、それぞれ募金や節電に努めていたり、場合によってはボランティア活動なども行っていたりするはず、ということだ。程度の差はあれ、いま日本人の心には、これまでになく互助の意識が高まっている──と思うのだが、実際のところはさてどうなのだろう。



(2011年6月17日掲載)



前後のオピニオン

注目を集めるOTC類似薬の給付見直し問題
(2011年6月24日掲載)
◆牧歌的すぎる風景
(2011年6月17日掲載)
人に先ずよく教え習わせ
(2011年6月10日掲載)