オピニオン

「最後の物たちの国で」

 「これらは最後の物たちです」という印象的な一文から始まる「最後の物たちの国で」は、4月に77歳で亡くなった米国の人気作家、ポール・オースターの1986年作品。86年という年は、オースターの名を世に知らしめた「ニューヨーク三部作」(85~86)と、「ムーン・パレス」(89)「偶然の音楽」(90)といった絶頂期の傑作群に挟まれた時期にあたり、作風も著者としては珍しいディストピア小説風。こうした実験的要素の強さもあってか、半ば「埋もれた作品」的な扱いしかされてこなかったが、著者自身が語る通り、「現代の物語」として読むと、そこには興味深い内容が散りばめられている。
 行方不明になった兄を探すために主人公が訪れたのは、かつては存在した物が次々と失われてゆく架空の街。「一つまた一つとそれらは消えていき、二度と戻ってきません」。文明が崩壊し、廃墟と化した街を、人々は住む場所を、あるいは何らかの希望を求めてさ迷い歩く。死だけがそこから逃れる唯一の逃げ道であるような世界。「人々にいまも何か感情が残っているとすれば、それは死をめぐる感情だけではないでしょうか。死こそこの街の芸術、この街に唯一残された自己表現の手段なのです」。それでも人は、悪夢のような街で、何とか生き延びようとする。
 さて、厚労省が5月に公表した、2024年度~26年度の介護保険料の見通しによると、全国平均基準額は6225円で、21~23年度と比べ211円、3・5%の増加。保険料は、人口の高齢化等とともに介護サービスの受けやすさなども影響するため、一概に金額の多寡のみで良し悪しを判断することはできない。ただ、年金収入のみに頼る高齢者も多いなか、毎月の保険料の高騰で負担感が増すことも事実で、そうでなくとも、「保険あってサービスなし」などという陰口もちらほら聞こえる。介護保険という人生の最後の時期を支える仕組みの充実を図ること、保険料の高騰に見合ったサービス内容とすることは、人々が抱える「老後への漠とした不安」を解消する有効な手段のはずなのに、現実は甚だ心許ない。「死だけが唯一の逃げ道」となるような世界は御免こうむりたいのだが。



(2024年6月7日掲載)



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