|
インフルエンザの予防注射を受けに近くの健診センターに出かけた時のこと。手続きを済ませて、診察室に入り一瞬ドッキリ。小柄でツルッパゲの老医が広い部屋の片隅に一人ポツネンと寂しげにたたずんでいた。 なんだか薄気味悪く、その頼りなさに、予防注射とはいえうっすらと恐怖を覚えたほどである。 最近は医師不足の影響で、こんな老医まで動員されているのかと正直思った。後に続いた妻も、部屋から出てくるなり「あの先生、おいくつかしら」とポツリ。私と同じ感想を抱いたようである。 老医ですぐ思い浮かぶのは、聖路加国際病院の日野原重明先生。白寿とはいえ一向に衰える気配を見せない。こうして、医師という職業は、心身共に健康であれば、社会貢献という一面もあり一般的に息長く活躍されるケースが多い。 対して、アスリートの選手生命は実に短い。横綱千代の富士は、現役最後の大一番貴乃花関戦に破れ、「体力の限界!」という悲痛な一言を残して土俵を去った。 また、野球界にしても、記録が次第に落ちてくると、ほどよいところで引退ということに。打率3割以上を続けていたスラッガーでも、2割台に低迷しだせば、いよいよ引き際かと悟る。 こんなスポーツ選手のように、もし医師サイドでも、自らの診療記録として、毎年誤診率が明確に打ち出せるようにでもなれば、つまり客観的指標が正確に示せるようになれば、引退の時期は自ずと決まってくる。 だが、現実の医師の引き際は実に難しい。 それでも外科系の医師は、アスリート的要素もあって、身体的能力の限界を自覚し、比較的第一線を退く決意がしやすい。 対して、長く患者を見続けている内科系医師の場合は、地域に対する社会的責任もあって、引退のタイミングを図るのがなかなか難しい。 引退の判断を巡っては、周囲の厳しい目を重要視しなくてはならない。しかし、まずはそれ以前に、自らの能力をみつめる厳しい目を持たなくてはなるまい。 このまま医師として続けていっていいかどうか、然るべき時期が到来した時点で、厳正に自己判断することが要求される。 何か事故が起きてからでは遅い。命にからむ仕事に従事しているだけに、そのみきわめは超厳密でなくてはならない。
|