オピニオン
“小泉幕府”と3つの改革
幕府への敵対行為等の防止やその罰則に「転封」(国替え)、「改易」(所領の没収、お家取り潰し)がある。江戸幕府はこれにより、諸大小名の生殺与奪の権を握り、参勤交代で絶対的中央集権を維持した。
今回の衆議院選挙。基本はアンチ中央集権ながら、地域のつながりが深い代議士に対する現在版の転封・改易システム(刺客戦術)で、権力の集中をみた点など、“プチ幕府”の成立をみるようでもあった。この勢いのもとで進められる改革圧力に、種々守旧側は、少なからず警戒を強めてもいるようだ。
改革といえば80~90年代、規制緩和路線で英国経済を復活させたサッチャー改革と、同路線で米国経済を停滞からの脱出に導いたレーガノミクスがある。ともに、推進過程ではシビアな道をくぐりながらも一定の成果を挙げた。後者の一例でいうと、当時、多くの被解雇者が路頭に迷った。が、彼らはスモールビジネスに流れ、ネットワークの必要上からいち早い情報化社会現出に貢献し、同国に繁栄をもたらした。本邦改革は、両改革も範とするようだ。
ただ本邦江戸期にも、8代将軍・徳川吉宗プロデュースの「享保の改革」がある。①質素倹約による財政支出減②上米の制による収入増等の政策を打ち出し、財政は一時回復。体制引き締め・改善に奏功した。が、一方で税(年貢)率の上昇で農民生活は困窮し、新田開発で米価が乱れ、一揆も増えている。なんとなく、サラリーマン増税、規制撤廃・新規参入による市場の混乱――など今の世に相関している。同改革は後世、「根本解決にならず」と評価された。一方、サッチャー、レーガン両改革は、まあ、良評価。さて、“小泉幕府”の改革は、どっち?
(2005年9月23日掲載)
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◇究極の買収防衛策 (2005年9月16日掲載) |