オピニオン

灰から灰へ、塵から塵へ

 2005年度のノーベル文学賞作家ハロルド・ピンターの後期戯曲「灰から灰へ」は、ナチスによるホロコーストの記憶に苛まれる女性を描いた作品で――と、切り出すと、「忌まわしい過去の傷に人生を狂わされた人間の波乱の生涯」みたいな、紋切り型のストーリーを思い浮かべがちだが、ユニークなのはこの女性が戦後生まれの設定で、だから実際にはホロコーストの記憶を「実体験」として持っているのではないという点。自分自身が生で体験したわけでもない過去の幻影に取り憑かれた人間の姿を描くという手法を通して、ナチスによる行為の残虐性、そして非人道性を強烈に印象付けようとした作品であると、一般には理解されている。
 こんなことを言い出したのは、ある著名な学者が、東日本大震災と一連の原発事故を「ホロコースト」と表現するのを目にしたから。いちどきに万単位の犠牲者を生んだ今回の震災は、まさしく自然による虐殺以外の何ものでもないし、それに続く原発事故は、人間の手になる非人道行為と言ってよい。収束どころか被害は拡大する一方で、原発近隣住民ばかりか農作物や水、果ては牛肉などを通して影響は全国に及ぼうとしている。
 さらに震災をきっかけとして、被災地以外の人々にも、不安感や鬱症状の疑われる人が増えていると言われる。厄介なことに、「震災鬱」患者は、時間の経過とともに減少するどころか地震直後の緊張が緩むに従い逆に増加が懸念されるという。虐殺のあまりの巨大さ故に、実体験の有無にかかわらず、心に深い傷痕を(恐らく何年にもわたって)残すことになるのだろう。そう考えただけでもいささか憂鬱になるのだが、おかしなもので「居座り」だの何のと罵声を浴びながらも「原子力に替わるエネルギー」に固執してとうとう8月まで逃げ切った総理大臣の駄々っ子のような頑なさと道化役者ぶりに、なぜか救われたような思いがするのは、これまた気の迷いか、それとも暑さのせいか。



(2011年8月26日掲載)



前後のオピニオン

次の国民皆保険・皆年金にむけて
(2011年8月29日掲載)
◆灰から灰へ、塵から塵へ
(2011年8月26日掲載)
定額負担制度の導入を巡る攻防
(2011年8月19日掲載)