オピニオン

「犬の心臓」

 ミハイル・ブルガーコフ(1891~1940)は、現ウクライナ・キーウ(キエフ)生まれのロシア人作家。スターリン政権下のソビエトで反体制的とみなされ、ほとんどの作品が発禁となるなど不遇をかこち、失意のうちに世を去った。しかし死後、1960年代後半からの民主化の動きのなかで代表作でもある「巨匠とマルガリータ」が出版されるや世界的な評判を呼び、かのガルシア・マルケスをして「20世紀最大の作家」と言わしめた。
 1924年に書かれた「犬の心臓」は、SF風の寓話。ヒトの脳下垂体を実験的に移植された犬が二本足で歩き、言葉を発するなど人間化していく一方、移植された脳の生前の「持ち主」が逮捕歴のある前科者で与太者であったことから素行が悪化、周囲を混乱に陥れていく。手術を執刀した世界的権威の教授はこう嘆く。
「スピノザのものだろうが、ほかの悪魔的な天才のものだろうが、下垂体を移植することはできるし、犬から卓越した人物を作り出すこともできる。しかし、それはいったい何のためなのかね。なぜ人工的にスピノザを生産しなければならないのか」
 さて、小説とは逆に、動物からヒトへの臓器移植、いわゆる「異種移植」は、すでに米国や中国で、遺伝子を改変したブタの心臓や腎臓のヒトへの移植が実施され、国内でも昨年、明治大学発のベンチャー企業が、遺伝子を改変したブタの腎臓のサルへの移植に成功したと発表、将来的にはヒトでの臨床試験を行いたい意向を表明した。また、東京慈恵医大などのチームも、重い腎臓病の胎児にブタの腎臓を移植する臨床研究計画を今年度中に国に申請する考えを示している。こうした動きに呼応するように、厚労省も年明け早々、異種移植を実施する医療機関が守るべき事項等をGLとして取りまとめ、通知している。
 ブルガーコフの小説では結局、移植実験は失敗に終わる。それからおよそ100年を経た現在、国内外で着々と進んでいる「異種移植」は、医療の新たな扉を開くことにつながるのか、注目される。



(2025年1月24日掲載)



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