オピニオン

お前はもう、死んでいる

 延命部分は保険で見る必要はないのではないか……? 厚労省幹部はいわゆる厚労省試案を受け、都内シンポジウムで私見を開陳した。果たせるかな、同席の医師が反発し物議をかもしたのはつい先頃。ここでの「延命」を考えるとき、保険財政に加え、覚悟や観念の問題等があるだろう。前者は公の議論に託すとして、後者の問題を考えたい。
 まず患者本人の延命に対する覚悟は存外、整理をつけやすいのではないか。内閣府が以前行った対高齢者調査でも、8割強が延命だけの医療を拒否したい意向を示している。問題は、客観的な覚悟と定義。延命への期待は経験上、本人の意思以上に家族のいじましいエゴによる部分も多い。が、そうした面やその他倫理的な問題も本人意思の優先で解決は難しくないだろう。難しいのは定義。ある医療関係者は「『今日から終末医療です』と言われたら、患者は怒る。そこをどうするか」と述べている。とはいえ、医療知識の乏しい患者の単純な自己申告では、自殺や未練等との線引きが混沌としてしまうだろう。その意味でも定義が要諦か。
 語弊を恐れずに言えば、近頃の保険財政上の議論は、凶事について “言うをはばかる”本邦民族が、昨今遠ざけてきた死の問題を、正面から議論する契機となったとも思う。こうした背景が、昭和元禄から平成バブルにかけて浮かれ騒いだツケに因るというのは少し寂しいが、「死」を議論することで「生」を考えるに有効な機会だろう。とはいえ、やはり延命などはデリケートな部分。十分議論し、ゆめ、患者に向かってこう冷厳と言い放つような医療にはならないことを願う。
 ――お前はもう、死んでいる。



(2005年11月11日掲載)



前後のオピニオン

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(2005年11月18日掲載)
◆お前はもう、死んでいる
(2005年11月11日掲載)
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(2005年11月4日掲載)