オピニオン
「目が最初にとらえる物事の表面というものは」
「もしも我々が支配者を選ぶときに、候補者の政治綱領ではなく読書体験を選択の基準にしたならば、この地上の不幸はもっと少なくなることでしょう。そう信じて疑いません。我々の支配者となるかもしれない人間にまず尋ねるべきは、外交でどのような路線をとろうと考えているかということではなく、スタンダール、ディケンズ、ドストエフスキーにどんな態度をとるかということです」(「私人・ノーベル文学賞受賞講演」)。
社会主義下のソビエト出身で、1987年にノーベル文学賞を受賞したヨシフ・ブロツキー(1940~96)は、63年に「有益な仕事に就こうとしない徒食者」なる非常にソビエト的な罪状で逮捕され、強制労働に処された挙句、国外追放処分となりアメリカに亡命。以後、55歳で心臓発作により亡くなるまで、終生、帰国することはなかった。
先の言葉は、ブロツキーがノーベル賞を受賞した際に行った講演でのもの。この基準に照らせば、ドストエフスキーが好きか嫌いかはともかく、読書家・勉強家として知られる日本の総理は、ノーベル賞作家のお眼鏡にそこそこ適うのではないか、などと思ったりする。他方、ドストエフスキーと同国の大統領は読書家ではあるのかもしれないが、考え方が偏りすぎだし、ましてや、選挙で選出されたばかりの米国の次期大統領にいたっては、ドストエフスキーはおろか専らテレビやSNSにご執心のようだ。
さて、ノーベル賞受賞後の89年に、故国で受けた判決が取り消されて名誉を回復、95年にはサンクトペテルブルク市の名誉市民の称号まで授与されたブロツキーだが、たびたびの帰国の誘いにも応じず、米国で暮らし続けた。ノーベル賞作家にとって米国は、いわば「第二の故国」ともいうべき地だが、その現在の姿は、作家の目にいったいどのように映るのか、もしも存命であれば聞いてみたいものである。
「目が最初にとらえる物事の表面というものは、しばしばその内面よりも多くを語っていることがあるのだ」(「ヴェネツィア・水の迷宮の夢」)。
(2024年11月29日掲載)
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