オピニオン

聞こえなかった声

 先日地下鉄の駅で白杖をもった男性が、方向がわからなくて困っているのを見つけた。声をかけると改札から出たいというので案内した。改札を通りすぎると丁重にお礼を言われ、私はその場を立ち去った。別の日、同じ男性を見かけた。近くにいた人が声をかけて案内していた。見ていると改札を過ぎ、別の路線に乗るための階段付近まで案内していた。もしかすると男性は、私が声をかけたあの日も乗換をしたかったのかもしれない。支援を必要としている人に無用な遠慮をさせてしまったのではないかと反省した。
 ところで1カ月も前の話題で恐縮だが、成人式の振袖販売・レンタル業者が突然営業停止したことによって、式典に出席できなかった新成人が多数いたことが話題となった。それ以上に驚いたのは、被害者に対して「支援」をしようという動きがあったことだ。
 日々、いろいろな事件が起きているが、このように「支援」が大きな話題になったことはあまりないのではないか。ただ、この場合「支援」という言葉はふさわしいのだろうか、本当に「支援」を必要としているのはこの事件の被害者だろうか、という気がしている。たとえば、晴れ着を用意する金銭的な余裕もなく最初から式典への出席を諦めていたような人がいたとしたら、どのような気持ちでの報道を受け止めただろう。
 聞こえてきづらい声にこそ気づけるようになりたい。



(2018年2月9日掲載)



前後のオピニオン

日医君考
(2018年2月16日掲載)
◆聞こえなかった声
(2018年2月9日掲載)
日薬が「行動規範」を公表
(2018年2月2日掲載)