オピニオン
「グローバル化」
日本において、「グローバル化」という言葉は、いわゆる“国際化”という意味で使われることはそれほど多くない。むしろ、意図的に埋没、無視せられている欧米化・アメリカ化を指しており、このことは、皮肉にも、欧米をその出自とする人々から多く指摘されている。
人類学者であり、シアトル大学で教鞭を振るうロバート助教授は、こうした指摘をする一人だ。日本人が「グローバル化」というものを思考する際、欧米地域に対する熱心さに比べ、一員である筈のアジア地域に対してはそれほどでもないことが「不思議」と言う。特に、語学教育を例に挙げ、「日本で外国語教育とは英語教育を指しているが、例えば中国語など英語以外を選択する機会を増やすことがグローバル化への第一歩」と主張する。
「グローバル化」を考える時に最も重要なことは、国際的に、自らが外へ開かれているのと同時に、他者を受け入れることができる“共生”の視点を持つことだろう。それは欧米化でも、日本化でも、アジア化でもない。まさに国際化であり、マルチカルチャリズムを体現し、相互理解を深めていくことを指す。
面白いことに、「グローバル化」という言葉が、産業というフィルターを通して用いられる場合、“共生”よりも“競争”という概念が強く入り込む。その意味からすれば、国際競争力の低下が懸念されている我ら日本の製薬企業が「グローバル化」されゆく日本市場において“共生”の道を歩むのか、はたまた、全世界的な市場で“競争”する道を選ぶのか、今後は注視する必要がある。
(2005年5月13日掲載)
前後のオピニオン |
◇JR脱線事故から医療が学ぶべきこと (2005年5月20日掲載) |
◆「グローバル化」 (2005年5月13日掲載) |
◇こいのぼりに思う (2005年5月6日掲載) |