メディカル・エッセイスト 岸本由次郎  
 
医言放大
 
〝変わり者〟受け入れる度量
 
   朝青龍問題では、当初代わる代わる精神科医が登場し、“神経衰弱”やら“ストレス障害”やらの病名が飛び交った。精神疾患では雅子妃の“適応障害”も大変有名になった。
 職場のメンタルヘルスに於いては、“人格障害”がしばしば大きな問題となる。一般的表現でいえば、“変わり者”ということになろうか。明らかな精神病ではないが、どこか少し変った人というのはどこにでも居る。
 「人格障害」の有病率については、日本のデータはないが、世界的には疫学研究がされていて、一般人口の約10%強が人格障害の診断基準に当てはまるという。10人に1人ということであり実に大変な数だ。
 もし気の合わない人が近くに居たとしても、一般社会の中では適当に距離をおくなどして調節もできようが、毎日どうしても顔をつき合わせる職場となるとそうはいかない。人間関係の対処は、双方が大変苦しむものである。
 普段、嫌なことがあると、すぐそこから逃げだす逃避癖のある人が、人生一大事の岐路に立っても、やはり逃げだすようなことになると、これはもう立派な「回避性人格障害」と診断される。
 だが、人格障害はこんな単純なものだけではない。米国精神医学会の診断によると、微妙な性質の違いで、妄想性、反社会性、境界性、演技性、自己愛性、脅迫性等多くのタイプに分類されている。
 変わり者に対してはとにかく扱いに苦労する。だからといって、その人を簡単に排除するわけにはいかない。いろいろな個性の人がいて社会は成り立っており、職場としても、当然同じ状況と捉えるべき。
 一見常識人と思われる人でも細かく見れば一つや二つ変わったところはあるはず。ただ、その程度が大きいか小さいかの違いだ。
 各個性の違いを、人格障害という名のもとで差別し、安易に排除することがあってはならない。変わり者にも基本的には働く権利はあるし、中にはこだわりのある特有能力を幾つも持ち合わせているかも知れない。ユニークなニューアイデアで新境地を開けるかも知れない。
 こうして、職場が大きな度量を見せ、愛情深く受け入れることで社会は成り立っていくのである。
 人格障害は、いつまでもその人に固定されたものではない。「自分は悪くない」という拘りも、いつかは転機が訪れるかも。ドクターショッピングしているうちに、冷静に自分を見つめ直すチャンスがあるかも知れない。
 職場の度量の大きさがその可能性を引きだす。何かとギスギスした世の中ではあるが、そんな愛情深い職場が一つでも多くあって欲しいものである。

(2008年6月27日掲載)
前後の医言放大
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(2008年7月11日掲載)
◆〝変わり者〟受け入れる度量
(2008年6月27日掲載)
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(2008年6月6日掲載)