|
医師が患者と正面から向き合わず、カルテにペンを走らせる。はすに構えて話す態度は実にけしからんという批判は前からよく聞く。 医師と患者が全く目を合わさず、会話もほとんどない極端な例が産婦人科に於ける内診風景。両者を隔てるカーテンの存在が、アイ・コンタクトを伴う会話を完全に阻害している。 欧米女性から言わせると、こうしたカーテンは「医師の顔が見えずとても不安」と一刀両断。逆に、日本女性は、カーテンがないと、「恥ずかしくてとても内診台に上がる勇気がでない」と縮こまる。まさに天と地の違いだ。 同じアジア圏の台湾や韓国等では、申し訳程度の小さな旗状の目隠し布が取り付けられている。 欧米人女性は、たとえ妊娠健診のような簡単なケースでも、どんな具合かいちいちドクターとアイ・コンタクト付きで説明を受け、信頼関係というキャッチボールをとりかわそうとする。 内診台は、明治時代、西洋医学の全面的導入と共に取り入れられた。その時、日本女性の内気な気持ちを慮って、人力車の幌のようなものを取り付けたのが、そもそもの原型。 スタート時、医師と直接視線を合わせなくてすむことで、ご婦人方がようやく内診台にのってくれたとのことだからやむをえなかったのだろう。 アイ・コンタクトの重要性は別の世界でもよく論じられる。 プロ野球では、今でもその緊迫のシーンが語られる。超有名な天覧試合では、ミスタージャイアンツ長島選手のサヨナラホームランにより劇的な幕切れとなったが、実はその前イニイグの8回に、それを演出する大きな布石があった。1死2、3塁の絶体絶命のピンチに2塁走者をけん制死した絶妙のプレーがあったのだ。その価値ある一瞬を成功させたのが、実はピッチャーとショートとのこれ以上ないといわれるスーパー・アイ・コンタクト・プレーだったのだ。 医療界では、産婦人科における内診台のカーテンが、はからずも象徴しているように、医師・患者間のコミュニケーション不足を伝統づけてしまったのか。 だが、正面から向き合う心からの会話が医療を進める上で何よりも必要なことは確か。たった一つの命を守るためには、アイ・コンタクトの真剣な眼差しが必須、それなくして真の医療は成り立たない。
|