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「男性医師に診てもらうのは恥ずかしい」 ナイーブな女性患者は、自分を診察してくれる医師が女性医師であることを確かめる。これは決して今に始まった現象ではない。 こんな余計な手間をキッパリ無くしたのが「女性外来」の誕生だ。鹿児島大が5年前先陣を切った。新生日本の夜明けの地、サツマの面目躍如たるものがある。 みごと女性の心を捉え、今や全国に350ヵ所を数えるに至り、その必要性から更に倍増してもおかしくない、とまで云われている。 本来、医療の本質だけを考えるならば、医師が男か女かは関係ないはずである。だが、アンケート調査で浮きぼりになったのは「同性に診て欲しい」という単純な希望であった。 最近はややもするとズーズーシイ女性の台頭が目立つ今日この頃であるが、本質的にはまだまだ“大和撫子”。「男性医師に裸を見せるのはどうも」とか、「男性医師には話しづらい」といった羞恥心をみせる女性も大勢いらっしゃる。 そもそもは、こうした女性のニーズに応えてスタートした特殊外来ではあるが、性差医療の何たるかを掘り下げると意外と深遠であることに気がつく。ただ単に外面的な女性だけを相手にするのではなく、女性本来の内面に深く切りこんだ診断・治療力が求められて当然になってくる。 最近では治療実績も向上し、北海道性差医学・医療研究会が新しく立ち上げられたりしている。 これまでなら一般内科で「たいしたことはないでしょう」で簡単に終わっていた患者も、女性外来で、なお微かに残る痛みを追求し続け、ついには「微小血管性狭心症」をみごと発見したりしている。この疾患は、アメリカの性差医療の現場では、かなり知られているものだというが、日本ではこれまであまり問題にされていなかった。正確な診断のチャンスができて適正な投薬につながり治癒に結びついたものである。性差医療の知見の蓄積が大きくものをいった症例といえよう。 とにかく、男と女は違う。特に女性が心理的に悩みを抱えた場合、その違いは顕著に現われる。話をじっくり聞いてもらい、相槌を打ってもらい、更には、心の中の不安や葛藤を徹底的に軽くしてもらいたいと考えるのが女性の本音。 一時間前後の長話を平気で続けられる女性と、数分でいいと思う男性とではなかなかかみ合わず、夫婦喧嘩の元になったりもする。 女性による女性のための女性外来は、どうも男性医師が恥ずかしいからという理由だけで生まれたものではないようである。
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