メディカル・エッセイスト 岸本由次郎  
 
医言放大
 
禁忌でも使うべきだった
 
   たとえ「禁忌」であろうと、時には敢然と使いこなす勇気と、そのための精緻な判断力がないと、医者はやっていけない、という話。
 「残念ながら、このケースでは禁忌となっているので使えない」。通常なら全く自然体であり、何の問題もないはずの医師の行為であるが、医療裁判で不適切とされてしまった。
 禁忌とあれば、避けて当然、それを敢えて使用しトラブレば過失として裁かれる。だが、裁判官は云う。「添付文書に従うか否かは、医師の裁量権の範囲」と。
 最近の事例で、禁忌薬剤の時期を逸した医師の行為が過失と判断され損害賠償が命じられるケースが発生した。
 こうなると、添付文書の存在はどこへやら、それに従って過失、従わなくても過失では、医者は立つ瀬がない。医療現場は混乱するばかりだ。
 添付文書の記載内容については、極めて厳正なものと判断されてきたが、司法の観点が時に大きくズレていることを考慮しなければならない。
 「能書きは製薬会社の製造物責任を果たすための注意書きである」とすっぱり決めつけ、その上に立って、医師に高度な判断を求める。
 「薬剤の作用機序や、その使用によってもたらされる危険性を十分了解した上で、これに従うか否かをきめなさい」と。
 つまり、リスクを上回る利益が見込めるなら、禁忌とあってもとらわれるな、ということであり、崇高な医師の決断を促す。
 医療の限界と思われる次のような例でも司法は容赦しない。開業15年間で初めて遭遇した“感冒様超類似疾患”を「感冒」と誤診したケース。初期段階ではまず鑑別不可能とされるものでも過失責任にて1億円もの賠償責任を負う。油断も隙もあったものではないし、こんな目に合うと仕事の気力を一気に失いかねない極めて厳しい判決と云えよう。
 問題の根は鑑定のあり方にもある。実践的医療とかけ離れた、学問上考えられる最良の医療かどうかを目標に、きれいごとの鑑定を求め過ぎると極めて厳しいものとなる。
 明確な誤診があって敗訴となるのは、実体がはっきりしていて致し方ないとしても、実体不明な説明義務についてはなかなかスッキリしない。
 それ以上説明しようがないほど言葉を尽くしていても、結果、説明不足による慰謝料支払命令も少なくない。
 「過失があったかどうかの因果関係がはっきり認められない。しかし、何らかの影響を及ぼした可能性は認められる」
 高額所得者として、また社会的地位の高い医者ではあるが、なかなか辛い職業である。

(2008年5月9日掲載)
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(2008年5月9日掲載)
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