|
医療は1900年代に入ると、次々と新しい治療法が見つかり、それまで難解とされた病気を次々と征服していった。つまり、20世紀は「治療」の時代と言われる極めて意義深い一時代を築いた。 替って、21世紀今世紀は、更に推し進めてできれば治療の必要がない「予防」の時代へ突入したと言われる。 もしも万全の予防策が確立できれば、当然病気とは無縁となり、治療で苦しむ必要が全くなくなる。まさに、医療福祉の最終局面を迎えることとなる。 予防医学の最大のキーポイントは、ずばりワクチンである。言うまでもなく、ワクチンは接種者本人を守るだけでなく、集団免疫効果により非接種者まで守る、まさに、現代社会でいう″絆″そのものの価値観を求めるものである。 ワクチンの費用対効果は極めて高く、まさに人類の生命と健康を守る究極の予防手段である。特に日本の使命は、足踏みをしてしまったワクチン行政を成功させることであり、それなくしては21世紀の使命を果たしたことにはならない。 ワクチンで防ぐことのできる重要な疾患のことをVPD(ワクチン・プリベンタブル・ディシーズ)といい、アメリカをはじめ、ワクチン先進国では接種が十分行き亘っており、当然これら疾患による被害は極めて少ない。 対して我が国では、残念ながら本来防ぐことのできたこれら疾患で、未だに多くの子どもたちが苦しんだり亡くなったりしている。 ここで正しく理解しておくべきことは、疾患多発の責任を、接種させなかった保護者になすりつけないことである。不幸の原因は国や行政の問題として、更には社会やメディアの無関心から派生した課題として、厳しく正確に捉え次に生かすべきである。 保護者がなぜ接種しなかったか、保護者になぜ接種させなかったか、種々の理由がある。 まず、国や社会からの啓発が極めて脆弱であったこと。まさか麻疹や水疱等で死亡するなんて保護者はさらさら思わなかった。また、任意ワクチンはお金がかかり、その上不幸にも、任意=推奨=不要という安易な意識構図ができて簡単にやめてしまったことがある。 そして、副反応に対する情報提供が不十分で、わが子への接種を必要以上に恐れたことなどさまざまある。 日本では過失補償制度により、救済のためには主治医や厚労省等の過失を認めることが必要となる。そのため冤罪をかぶった厚労省は接種行政に後ろ向きとなり、結果、接種を受ける国民の不幸につながったと思われるのである。
|