メディカル・エッセイスト 岸本由次郎  
 
医言放大
 
噛むことで人は変わる
 
   人は歳を重ねると、1本2本と歯が欠けていくのは仕方のないことだが、それにつれて記憶力や運動能力といったソフト面も落ちこんでいくのは大変困った問題である。つまり、認知症の危険が高まるということだ。
 歯の欠落は、とにかく噛む力を極度に減少させる。口腔は脳と直近の位置にあるだけに咬合と脳機能の相互関係が濃密であり、もし咬合不全ということになると、記憶力の低下に直結してしまうのは当然の成り行き。
 従って、口腔状態を保全し、噛む力を取り戻すことができれば、モリモリと脳は活性化し、勢いを増し、心身共に活動意欲が向上する。
 口腔ケアは、単に口の中をキレイにするだけと軽視しがちであるが、脳機能とのつながりを考えると、その大切さが痛感される。だが残念なことに、一般に日本人の意識は薄く、定期的に口腔ケアを受けている人は3人に1人に留まっている。高齢の色彩がますます濃くなる人類未踏の社会突入に当って、何としてでも口腔ケア、咬合力の大切さの認識を高めなくてはいけない。
 失ってしまった歯の保全、咬合力の復活には性能のよい義歯の作製が必要。だが、気になるのは歯科技工士の待遇が芳しくなく、なり手が減っている。関係筋は、遠からずこの問題が表面するだろうと警告を発している。
 高齢化を背景として、口腔疾患の増加は世界的傾向にあり、WHOは、その旨報告書も出し警戒を強めている。そんなこともあってか、アメリカ国民の定期的口腔ケア実施者は2人に1人と日本人を上回る。歯が汚れているようでは社会的成功はおぼつかない、といった考え方が、アメリカの巷では秘かに囁かれているとか。
 スウェーデンもなかなか立派。80歳で25本の健康歯を維持する「8025運動」の成功が光る。実状「8013」に留まる日本とは雲泥の差である。
 歯の健康を保ち、よく噛んで食べる習慣は諸疾病を寄せつけない。高齢者の医療費の膨潤化を阻止するために必ずや貢献するに間違いない。
 IVH(中心静脈栄養)に頼っていた寝たきり患者が転院を機に、口腔ケアを徹底するようになり、ついには海外旅行を実現させた話がある。こんな実例が日本顎咬合学会にはいくつも寄せられているのだ。

(2015年9月18日掲載)
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