メディカル・エッセイスト 岸本由次郎  
 
医言放大
 
ミスがなくとも遺憾の意
 
   「もはやこれまでか」。万策尽きた、と思われた時、それまでとはまるで正反対の手を用いて、最後の難関を切り開こうと試みることがままある。
 アメリカは世界に名だたる訴訟社会。ニューヨーク等の市街地を歩いていて、突然人とぶつかることがあったら、相手は弁護士だと思え、と比喩されるほどである。それほど弁護士の多いアメリカでは何でもかんでも事件化しかねない。
 最近あきれたのは、“ハンバーガー事件”。「わたしたちが肥満体になったのは、おいしいハンバーガーを食べさせられ続けたせい」と、マック社を若い女の子たちが訴えた。自分たちが好き勝手にした行動なのに他人のせいにしようとする、或いはそれを支援しようとする弁護士の態度には、我々日本人にはストレートに理解できないものがある。
 ことほどさように、医療界でも争いごとは極めて多い。少しのミスがすぐに医療事故裁判につながってしまう。
 医療保険料は昇りにのぼって、医師としても背に腹はかえられず、少しでも安い地区へ転居してしまう仕末。医師も、保険会社も、まさに万策尽きたという感が深い。
 そこへ突如沸き起ったのが「アイムソリー(謝罪)運動」。いうなれば最後の難局打開策ともいうべきもので、これまでの医療側の強気一辺倒の態度を180度回転、破れかぶれの戦術行使ということである。
 これまでは、ミスしても「絶対謝ってはいけない、強気で通しなさい」という対決姿勢であったのが、今後は徹底した融和策である。「事故を起こしたら、即座に患者や遺族に謝り、事故発生の経緯や原因をトコトン詳しく説明しなさい」と開き直る。
 これまでとは違った手のひらを返したような情況説明が更に続く。
 「率直に謝らないから怒りを買って訴えられる。誠実に謝れば訴訟は減るはず」と。
 そして、実際、この瀬戸際戦術は大変な効果を発揮した。これまでとは打って変って係争費用が大幅に削減されたのである。さすがハーバード大と、この苦肉の立案者に好評価が高まっている。
 だがこれ、奇妙奇天烈な手段のようにみえて、実は冷静にみつめれば、これこそ「患者本位の医療の原点」。これまでがあまりにも患者不在であり過ぎていただけなのだ。
 医療保険制度崩壊の危機という末期症状が到来したお陰で、今回登場したのはいわば怪我の功名というべきものであるが、患者指向の愛ある姿勢がなんとか定着してくれることを祈らずにはいられない。

(2006年6月30日掲載)
前後の医言放大
マラソンと水分摂取
(2006年7月21日掲載)
◆ミスがなくとも遺憾の意
(2006年6月30日掲載)
沖縄長寿の落日
(2006年6月16日掲載)