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長い闘病生活に破れ、ついに終末期ともなると、患者の苦吟は当然だが、その辛い思いは周囲とて同じ。看取る医師も医療者としてそれなりに苦悩することがある。 経口摂取不能状態となると、人工栄養の摂取が保険診療で認められている。その診療報酬は極めて手厚く、実際、医療者のふところを豊かに潤している。それにより、現在20万人の末期患者がその管理下で静かに最期を迎えようとしている。 だが、現実そのほとんどの患者が2度と経口摂取の再開を見込めないケースばかりということで、医師は人知れず思い悩む。終末期では、患者本人の意向が把握しづらく、人工栄養を勝手に控えようとすれば倫理的な問題或いは法的な問題に発展しかねないことなどが心配され、医師の心は千千に乱れる。まさに、ハムレットの「To be or not to be」の心境そのものである。 日本老年医学会が、認知症末期患者への対応を巡って、会員医師にアンケートを実施した結果では、その9割方が、人工栄養の実施を巡って大変思い悩んでいる。 四半世紀前頃までは、終末期のがん患者に対しても普通に、中心静脈栄養や水分を補給していたが、その頃欧米では、実にドライに「がん患者の終末期に於ける栄養補給は有益性がなく必要ない」と、ガイドラインが制定されていた。 苦痛の少ない最期を実現するためには、基本的には人工栄養を行わないことが緩和ケアになり、倫理的にも妥協と考えられている。特に、胃瘻を造ってまでの栄養補給はただ患者の苦痛を大きくさせるだけだとしている。 遅ればせながら、日本でも06年、がん患者に対するガイドラインは基本的に欧米並となった。だが、実際、現場では輸液が必要と考えるウェット医師が日本にはまだまだ大勢いる。奇妙なことに、輸液の実施が、患者のためというよりは、周りの人(家族・医師等)のために目が向けられているのが日本的特徴である。 人工栄養を実施しないで、自然に看取ることが医学的に正しくとも、敢然とそれを実施できないのが、日本終末期医療の実態である。
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