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医療の原点は“疼痛回避”にある。患者が必死に痛みを訴えているのに、これを即座に取り除いてやれない、少しでも和らげてあげられないようでは、ただのヘボ医者にすぎない。藪医、迷医の類である。 からだのどこかが痛くなった時、意外に困るのがその表現方法。なんとか正確に伝えて、医者から適切な診断と治療を引き出そうと努めるが、これがなかなかうまくいかない。 「痛いよ痛い、春あかつきの空を掴み」(鈴木真砂女) 「声もなし、ひたすら痛みひたすらやまひ」(斉藤史) “痛い”としか云いようのない疼痛の辛さがひしひしと伝わる名句である。 正岡子規が脊椎カリエスを病み苦しみ抜いたことは大変有名だが、そのやり場のない痛みのことを作品「病牀六尺」で訴える。「その苦しみ痛みは何とも形容することはできない」と。言葉でもって文字をもって適切に表現して欲しい著名文学者にしてこの仕末である。 それでも、患者としては、医者の前に出れば何とか自分の苦しみを少しでも正確に理解してもらおうと、必死に痛みの実態を伝えようと頑張る。 表現し難い痛みの様子をなんとか伝えようとする手段として、日本人はよく“オノマトペ(擬音語)”を用いる。頭がガンガン金づちを叩くように痛い」とか、「胃がチクチク針を刺すように痛む」とかのように。他にも、シクシク、ギュウギュウ、ズキズキ等々、痛みの性質を感覚的に捉える努力をする。 さらには「涙がでるほど」とか「がまんができないほど」とかのように、痛みをその程度も添えてなんとか判ってもらおうと必死に頑張るのである。 学者メルザックは痛みの表現約70を、感覚的、情動的、評価的の3つに大分類した。基本的には日本語による表現と多くは似ているが、文化の違いか理解しずらい部分も少なくない。 そんな表現の一つとして、日本語にはない英語特有のものがある。それは最大級の痛みを表現する時に用いるもので、「エクスクルーシエイテイング」という。キリスト磔刑の大きな苦痛にも匹敵するというこの世で最大の激痛表現である。 こんな激烈な痛みにも欧米はペインクリニックがしっかりしていて、必要に応じで麻薬も遠慮なく使用する。それに対して日本はまだまだ。特に年輩医師の間に麻薬の積極的使用にためらいがみられる。 なんとか徹底した患者中心医療が滲透して欲しい。つまり、一人でも多くの医者が迷医ならぬ名医に成長して欲しいものである。
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