メディカル・エッセイスト 岸本由次郎  
 
医言放大
 
命を縮めた責任――債務不履行と損害賠償
 
   医療裁判の判例の中には、時として推理小説を凌ぐほどの興味をひくケースに出くわすことがある。まず前提として、そこに医療ミスと思われる事実が厳然として横たわっており、特に致死ケースについては、愛すべき家族の命を失った悲しみが、被告、原告の争いの中で重々しく交錯する。
 複雑な攻防に対して、神ならぬ法律が、いかに厳正な決断を下し得るか、注目すべき大団円に向かって繰り広げられてる切実なやりとりに否が応でも引き込まれていく。
 最近の例としては、胃がんで亡くなった患者が主人公となる事案が大変興味を引いた。
 その要旨は、初診医師のいわゆる誤診が問題のスタートとなり、誤診がなければ得られであろう本来の寿命より、やや早くに失われてしまった“相当程度の延命の可能性”という権利を巡って争われたものである。
 判例では、「医師に対し“債務不履行”に基づき“損害賠償”を求めた事案」と記されている。医療の世界であっても、一般社会同様によく聞く経済用語が使用されており、結局は、命も金に換算されることになるのだなと、あらためて痛感した次第である。
 この推理小説(本件)を大変スリリングにしているのは、第一審(地裁)、第二審(高裁)の同様判決のあと、最終段階になって最高裁が、全く逆の判決を下したところにある。いわゆるドンデン返しというやつで、ノンフィクション独特の吸引力に酔わされてします。
 そもそもは、初診時に適切な再検査が行われていれば、スキルス胃がんが発見されて格別問題にはならなかったであろうと推理された。実際は、患者は転院し、そこで初めてスキルス胃がんが発見され、その治療が始まったのは初診後既に3か月経っていた。そして、その後4か月して患者は亡くなった。
 第一、第二審の判決は患者側に厳しいものだった。初診時の過失は認めたもの、それが死亡時期をほとんど左右するものではないとして、損害賠償責任はないと判断された。
 だが、最高裁では、転院時に適切な治療が開始されていれば、実際の死亡時期は先延ばしできたかもしれないと判断し、原審に差し戻したのである。
 なお、ここで一層興味を引いたのは、患者側に「期待権」という権利のあることである。“十分な診療を受けたい”という患者の期待は、法的に保護される権利であり、これを医療側が怠れば、精神的損害の賠償請求が認められるというものである。
 患者に、真摯に生きようとする熱意がある限り、法律はいつでも患者側の強い味方になることを、この判例でも教えてくれた。

(2005年12月9日掲載)
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男女生み分け
(2005年12月23日掲載)
◆命を縮めた責任――債務不履行と損害賠償
(2005年12月9日掲載)
医学用語のあだ名
(2005年11月25日掲載)