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古代ローマ時代に創設された「円形劇場」は、剣闘士のどちらかが死ぬまで闘う残酷さを観戦する娯楽施設だった。喝采を浴びせながら狂気して喜ぶ観衆の気持を分析、突き詰めてみると、人間心理の奥底に、冷ややかで残忍な恐ろしさが潜んでいることに気付く。 理知的には“いけないこと”と理解していても、ついつい引き込まれてしまうミステリアスな快楽的心理は、人間だれしもが持ち合わせているのかもしれない。それが生身の人間の、人間としての本質を証明しているのかも。 しかし、世界には心あるジェントルマンがいて、「危険なことは安易には見過ごせない」と、「世界医師会」及び「イギリス医師会」は、30年も前から「ボクシングは完全に禁止されるべきだ」という見解を出し続けている。 意図的にダメージを与え続け、死に追いやったり、致命的な脳障害につながるような競技は、もはやスポーツとは言えない、と心あるドクターは言い続け、総合格闘技についても然り、まさに「人間闘鶏」そのものと厳しく非難する。 最近突発した人気プロレスラー「三沢光晴氏」の、リング上での壮絶な死は、実に衝撃的であった。プロレスに命をかけていた本人からすれば本望であったかも知れないが。 世界医師会が、声高に危険スポーツの禁止を叫んでみたところで、実社会ではいっこうになくなる気配がない。それどころか、例えばサッカーのようなものでも日増しにラフプレーが目立つようになり、観衆もそれに一喜一憂して楽しんでいる。 危険スポーツ擁護派の意見はこうだ。「へたに禁止すると地下に潜行し、より危険になるかも」とか、「ボクシングがなくなったら、ギャング化して人生を台無しにする貧困層の者たちが出るかも」などと主張する。あくまでも社会的に表面化させておいて、リングサイドドクターなどに、より少しでも適切な医療が受けられるようにしておいた方がよいという意見だ。 年間視聴率第1位ともなった、話題の内藤・亀田戦は、壮絶な打ち合いの末、亀田新チャンピオンの誕生となった。前チャンピオンの顔は軟骨が折れ、実に痛々しく腫れ上がっていた。 そんな危険なボクシングのある一方で、最近健康的な「エアボクシング」なるものが創設された。テクニック、スピード、美しさを競い合い、元チャンピオンたちが正確にポイントを判定する。昨年のプレ大会後、今年は全国レベルの本大会が開かれる。今後の行く末がどうなるか興味を引く。
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