メディカル・エッセイスト 岸本由次郎  
 
医言放大
 
時に有毒、時に秘薬
 
   「和歌山毒カレー事件」が、発生11年後でようやく結審した。カレー鍋に入れられたのは“ヒ素”、正確には“亜ヒ酸”である。古くから「石見銀山」やら「ネズミ殺し」などと言われ、大いに怖がられた。
 ヒ素がからんで、意図的ではなかったものの、カレー事件以上の悲惨な大事故が、約半世紀前に発生している。「ヒ素入り粉ミルク事件」で、130名もの死者がでた。
 原因は、乳質安定剤として粗悪な工業用品を用いたため、亜ヒ酸が不純物として含まれていたからである。
 ヒ素は、古代ギリシャ、古代ローマ時代には専ら暗殺目的で多用された。
 その後、16世紀になっても、ヒ素が化粧水「トファナ水」の成分として使用されていたため大いに悪用された。恋人やダンナが毒婦の餌食となり、密かに闇に葬られたのである。
 一方、ヒ素は自殺用にも多く使用された。
 フランスの小説「ボヴァリー夫人」では、恋に破れた夫人が、この毒をあおって息絶える様が赤裸々に描かれている。
 ヒ素は、意外なことに、ヒジキ、ワカメなどの海産物や、エビ、カニなどの魚介類に多量に含まれている。ただ、有機化合物のためヒトへの毒性が少なく、通常の食生活ではほとんど無視することができる。
 鉱石中のヒ素が風化し、川から海へ流出し、最終的にヒトの口に入る時には無毒化している。地球上のライフサイクルとして、実に都合の良い巡り合わせになっている。
 ヒ素の毒性は、医薬品に転用することが可能である。殺虫剤、シロアリ駆除剤として、また、梅毒特効薬としてサルバルサンがある。
 中国では、かつて制ガン作用のある鉱物生薬として、またイギリスでは「ファーラー液」の名で各種治療に供せられた。これは日本では「ホーレル水」として、貧血、マラリア、リウマチなどに利用されたことがある。
 最近、中国で急性骨髄球性白血病に高い有効性が見いだされ、欧米そして日本でも、次々に医薬品として承認されている。
 猛毒亜ヒ酸が白血病の秘薬として応用されるとは、なかなか予想しにくいことだ。だが、かつて薬学史上最大級の衝撃的悪夢とまで言われたサリドマイドが、いま「難治性多発性骨髄腫」の特効薬として甦っており、決して奇跡というわけでもないのだ。超猛毒菌ボツリヌス菌の活用についても然り。
 薬というものは、本来こういう二面性があって当然なのかも。要は、用いる人類の知恵次第ということか。

(2009年11月27日掲載)
前後の医言放大
国内自前の臓器移植
(2009年12月11日掲載)
◆時に有毒、時に秘薬
(2009年11月27日掲載)
“肥満の秋”に警告
(2009年11月6日掲載)