薬事ニュース社
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>>>医療におけるエクスキューズ<<<
 旅行パンフレットの美しい風景写真に、いつまで「これはイメージです」と但し書きを付け加えていかなければならないのか? TVショッピング番組で、高級布団愛用者の〝とてもよく眠れる〟コメントに、いつまで「これは個人の感想です」と但し書きを付け加えていかなければならないのか? その答えは風に吹かれて分からぬままだ……ボブ・ディランの「風に吹かれて」ではないが、あえて答えを捻り出してみれば、「悪意のあるクレーマーがいなくなった時」と言えるだろう。世間には、ちょっとした隙や瑕疵を突いて言いがかりをつけてくる輩が確かに存在する。ただ、クレーマー対策とまでは行かなくとも、エクスキューズの余地が必要なケースもある。薬の副作用情報などは、万に一つのケースを考慮して表示・周知していかなければならない。ただ市販され汎用された後に判明する場合もあるし、因果関係が不明なままの場合もあるだろう。タイミング良く完璧にエクスキューズを成立させるのが非常に困難なのが、薬や医療を含む生命に関与するケースだ。終末期医療において、身体中にチューブやセンサーが装着されたいわゆるスパゲティー症候群となった場合、親族によっては「こんな姿になるのなら、もっと安らかな方法を選びたかった」といったクレームを出すかも知れないし、逆にそれを避けて治療を継続しなかった場合、それはそれで「なぜ最後まで治療を施してくれなかった?」とのクレームが出るかもしれない。どちらに転んでも完璧なエクスキューズは成り立たない可能性がある。こういった場合、すべてをディベートや訴訟で解決する欧米方式は、包括的な幸福をもたらさない。ムダに対立せず、賢明な妥協点を見出す方策(または哲学)を人々は見出していくべきではないか。
(2014年5月9日掲載)