薬事ニュース社
オピニオン

>>>落語「笠碁」を聴きながら<<<
 古典落語の「笠碁」は子供の時から友達付き合いをする2人の隠居が主人公だ。隠居Aが隠居Bの家に通い毎日碁を打つ仲だが些細なことがきっかけで「金輪際、お前とは碁を打たない」と大げんかをする。ある雨の日、Aは「碁を打ちに行きたいが呼ばれもしないのに行くのは謝るようだ。様子をうかがってみよう」と出掛ける。Bは「今頃あいつはどうしているだろうか。強情を張らず来ればいいのに」と言っている。そこへ家に入るきっかけがつかめず表を行ったり来たりしているAが現れ、Bは「こうすればあいつは必ず入ってくる」と、あることをする。予想通りAは家に入ってくる。
 漢方の学会取材をしていると落語のような事例だと思うことがある。例えば境界性人格障害と診断され向精神薬を服用していた患者について。患者は処方された薬をため込み心理的なきっかけで大量服薬する可能性があったため抑肝散に切り替えたという。理由は効果が出そうだったことに加え「抑肝散を大量服薬するのは大変だろうと考えた」とのことだった。
 あるいは顔にひどいにきびのある男性が1か月後にお見合いをするので1か月以内に治してほしいと受診した事例、失恋がきっかけで不眠になった女性の事例など、データに表れない患者の背景について詳しく発表されることも漢方の特徴だと感じる。
 医学には意外と文系の発想も必要なのではないだろうか。
(2015年9月4日掲載)