薬事ニュース社
オピニオン

>>>自己利益ゆえの不正は皆の不利益に<<<
 米国シカゴ大学の学生を対象に、某メーカーのステレオの音質を評価させた実験がある。学生らは実際に試聴する前に、ステレオの説明や批評が掲載されているパンフレットを読む。一方の学生はステレオメーカーのクレジットが入ったパンフで、もう一方は「消費者レポート」と題されたものである。ただし文章の中味はまったく同一にしてある。試聴にはバッハの同じ楽曲を聴かせ、音質に関して質問をし、さらにこのステレオにいくらなら払えるか質問した。その結果、メーカーのパンフと題された方を読んだ学生は平均282ドル払うと答えたのに対し、消費者レポートのパンフを読んだ学生は平均407ドル払うと答えたという。これは、自己申告による広告宣伝が第三者による評価に比べていかに信用が低いかを示すものとなった。現世では、それぞれの自己利益のために人は不実を犯し、それゆえ互いが信用できないのではないかとさえ思われる。女性アイドルのウェストサイズ、お見合いプロフィールにおける男性の身長、履歴書に記された特技等々、自己申告されるあらゆるデータは、いくらか盛られているであろうことは、皆うすうす分かっている。ということは、たとえ正直に申告したとしても、相手からは悪い方へディスカウントされて見積もられるということでもある。あらゆる情報や取引が、このような不信に基づいてなされているかと思うと侘しさも増す。ただし「不実」や「不正」は、いったん共有地に持ち込まれたら、関わる皆が窮状に陥ることになる。共有の場である漁場で自己利益のために自分だけが大量に魚を捕ったら、共有の場である河川で、自分の工場だけなら大丈夫だろうと汚染水を垂れ流したら……一つの不正が相互の不信を生み、その場自体がスポイルされ他から見捨てられ、巡り巡って最終的には自分も不利益を被ることになるだろう。

(2014年3月14日掲載)