薬事ニュース社
オピニオン

>>>「不公平」で「偏っている」のは誰か<<<
 高額薬剤問題に揺れた中医協の過日の審議で、委員から「『ずるい』とは言わないが、『公正』とも言えない」とする発言があった。「画期的新薬」ともてはやされたのも束の間、いまや社会保障を食いつぶす悪者扱いの「オプジーボ」が、「患者数の少ない悪性黒色腫の適応で高額な薬価を算定し、かつ薬価改定の影響を受けないタイミングで非小細胞肺がんの効能を追加した」ことなどを非難したものだが、しかし、果たしてこのことは本当に「不公正」なのだろうか。
 医療用医薬品の薬価は、すべて中医協の了承のもと、保険収載されている。当たり前だが、「オプジーボ」の薬価もルールに則って決められた。仮に、既存のルールでは想定しえなかった事態が出来し、そのことによって社会保障財源が危機に瀕する、あるいは患者の利益に反する可能性があり得るというのであれば、それはルールの問題であり、時代に即する形にルールを手直しするしかない。その時点のルールで認められた範囲で薬価申請を行った企業を「不公正」呼ばわりするのはいささか話の筋が違う気がする。
 また、「患者数の少ない疾患で高額な薬価を算定」したことを問題視するのにも首をかしげたくなる。希少疾患は行政からの開発要請を受けるケースもあり、そうでなくても患者は新薬の登場を待ち望んでいるはず。「まず患者数の多い適応から取得せよ」などと、希少疾患の患者に向って言えるのだろうか。さらに言えば、なるべく高い薬価を取得しようとすることも、研究開発費の回収の観点からすれば、企業戦略として当然だろう。何よりルールの範囲内で最大限の利潤を追求するのが企業に課された使命であって、それを怠れば株主から訴えられても文句は言えまい。
 「公正」という言葉を辞書で引くと、「公平で偏っていないこと」などとある。中医協は特例的な措置として「期中改定」実施の方向で合意したが、これは、企業の行動が「不公平」で「偏っている」ことに起因するものではないはずだ。恐らくはルールが時代に合わなくなったことに起因する。むしろ、ルールに則った行動を「不公正」とあげつらうものこそ、「不公平」で「偏っている」のではないか、最近の中医協を見ていると、しばしば、そんなことを考えさせられる。
(2016年11月18日掲載)