薬事ニュース社
オピニオン

>>>ノー・カントリー<<<
 去る6月に89歳で亡くなった米国人作家コーマック・マッカーシーは、1990年代に「国境三部作」(「すべての美しい馬」「越境」「平原の町」)を発表、青年の成長を瑞々しい筆致で描いた青春小説で一躍ベストセラー作家となった。しかし「国境三部作」刊行後初の作品となった2005年の「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」では一転、非常で冷酷な殺人者を主人公に据えた血なまぐさい作風で読む者の度肝を抜いた。同作品はコーエン兄弟の監督により映画化もされ、アカデミー賞を受賞。また、2006年刊行の「ザ・ロード」はピュリッツァー賞に輝いている。
 さて、2007年発行の旧訳版では「血と暴力の国」というおどろおどろしい邦題が付されていた「ノー・カントリー~」は、犯罪小説の体裁をまといながら、もっと深い何かを問いかけているように見える。それは、次のような作中人物の言葉からもうかがえる。
 「この国は人に厳しいよ。でもみんな国に責任を問うつもりはないようだ。どうも妙なことだがね。とにかくそうなんだ」「なぜみんなこの国にはうんと責任があると思わないんだ?でも思わないんだな。国ってのはただの土地だから何もしないとも言えるがそんな言い草にはあんまり意味がない」「この国はあっさり人を殺しちまうがそれでもみんなこの国を愛してるんだ」
 そこには「個人と社会」「個人と国家」さらには「人間と世界」のありようまでを抉り出そうという意思が透ける。もちろん、この作品で描かれる「国」とはアメリカのことだが、どうもほかの国に置き換えることも不可能ではなさそうだ。原題は、直訳すれば「老人の住む国にあらず」、より意訳すると「年寄りに居場所はない」となり、世界中のどこであっても当てはまりそうな気もする。もっと言えば「オールド・メン」を「オール・メン」「オール・ピープル」と言い換えてもさほど不自然さは感じられない。「誰がために国家はあるのか?」このような本質的な疑義が、行間から聞こえてくる。
(2023年9月1日掲載)