薬事ニュース社
オピニオン

>>>健康な怒り・不健康な怒り<<<
 バーのカウンターで詩人とその友人が飲んでいる。離れた席では、男の女房が他の男といちゃついている。男とは二年間、別居中だ。見込みなしだろうと詩人は思う。やがて男が告白する。ある晩帰宅すると詩人と女房が台所で酔っ払っているのを発見し、詩人が帰った後、彼のあまり知られていない2冊の詩集を「徹底的に」引き裂いた、と。別に何もあったわけではない。多分、そういう女房なのだ。さて、友人は本題に入る。「またあの本を手に入れたいのだが、どこで買えるか」。1冊は絶版、1冊はどこそこで手に入ると詩人は教える。そして胸のうちで呟く。「ああ、健康な怒りのすばらしき表現、そして、そのあと始末」。秋葉原事件の事を考えていて、ふと、米国作家の短編小説を思い出した。
 「身勝手な怒り」が事件を誘発したというのが報道の論調だ。「不健全な怒り」と言い換えても差し支えなかろう。これを個人の感情抑制能力の問題に帰すことは容易い。しかし、人間には喜怒哀楽がある。時に小さな怒りを表現し、そして時に、そのあと始末を自ら引き受けることで、健全な心の痛みを知り、感情をコントロールする術も身に着けていく。ハケンだから、理由なく突然解雇を告げられても、文句も言えない、健全な怒りを表現する機会は失われ、不健全な怒りが鬱積していく。いつしか、それを制御する術をも失う。社会全体に、「文句も言えない」抑圧された雰囲気が蔓延していないだろうか。「健康な怒り」を封じ込めることで、「不健全な怒り」の暴発を招いてはいないだろうか。事件の背後には、社会全体で背負うべき十字架が見え隠れする。
(2008年7月11日掲載)