薬事ニュース社
オピニオン

>>>「痛み」と「潜在能力」<<<
 20代の頃は量を気にせずイケた酒も、中年となった今ではグラス1~2杯で軽い頭痛が誘発されるようになった。これは何か良くないことの前兆だと受け止め、自重するこの頃だ。人間は〝痛み〟を知覚することで異常を察知し、行動にブレーキを掛ける。場合によっては、辛いはずの痛みによって結果的に命が守られることさえあるだろう。
 さて、英国の外科医ポール・ブランド博士はハンセン病の治療に長く取り組んだ医者であったが、ある時ハンセン病患者の手の力が異様に強いことに気づく。結論から言うと、ハンセン病患者は手の神経末端が無感覚になっており、それゆえ力の加減が分からず、通常の限度を超える力を発揮していたということである。つまり普通の状態では、ある程度の痛み(抵抗)を感じた時点で本来出し得る力をセーブしてしまうのであるが、痛みの抑制が利かない場合は加減が分からないので、原動力である身体がぶっ壊れるほどの能力を発揮してしまわないとも限らないのだ。痛みの閾値と人間の潜在能力の均衡――そのバランスは絶妙なものだ。
 私事であるが、祖父は青年時代、隣家での火事の発生に際し、水で満杯になっている両腕で抱えきれないほどの大きさの水瓶を咄嗟に納屋から運び出し、消火活動に当たり事なきを得たというエピソードを持つ。後から考えると、なぜ人間が一人で(二人でさえ)運ぶのが困難な重量の水瓶を一気に運ぶことができたのか誰も分からなかったという。「火事場の馬鹿力」のリアル・バージョンだが、普段セーブされているパワーが非常時において解放されたのだろう。日常生活で発揮される力は、フルパワーのせいぜい数割程度のものなのではないだろうか? 思う以上に人の潜在能力は凄いものかもしれない。
(2011年12月9日掲載)